2008年3月10日月曜日

マネーの未来とイスラエル(その3)

完全民衆主義のブログへようこそ。

「新型経済」の金融市場は、収支が厳しいと伝えている。国際的な市場活動による「新型経済」が、古い経済を置き換えたと専門家は言う。大量のマネーが「凍結」状態だと報道されている。金融の世界的協調という大袈裟な表現で、市場参加者は互いにそそのかし合ってきたように思える。インチキの融資に住宅ローン、ごまかしの新規株式公募、レバレッジド・バイアウト、ポートフォリオを保護するための捻くれた方策の話題でもちきりである。参加者たちは、変化する市場の状況に迅速に対応できていないとコンピュータ・モデルを非難する。

愚か者ども! 深いトランス状態の霊媒、カザバジュアのエマが叫び声をあげる。「新型経済」の金融市場の嘘つきたちの凄さと比べれば、ジョージ・ブッシュも真っ青だとエマは言う。そうだ、「新型経済」とは、市場「プレーヤー」たちの嘘を糊塗するために用意周到に考え出された煙幕であるのが赤裸々な事実だ。彼らは、みんなの会社を潰し、仕事を奪い、将来の雇用機会も奪って、投信マネーや退職金基金を略奪するために、グローバル主義の嘘をつく。外国の社会保障基金を自分自身のためにコントロールしようという狙いを持っているのだ、と我らが民衆主義の教祖モントリオール市場の情報筋は断言する。

「新型経済」を詐欺として理解するためのポイントは単純だ。「新型経済」以前では、市場は、良識的な人間が管理するというルール(プルーデント・マン・ルール)で運営されていた。プルーデント・マンという言葉がその人の保証だった。その人の個人資金が、その人の投資アドバイスを裏付けしていた。投資する人は、市場で冒険させるのは余剰資金だけに限るようにと忠告された。市場への投資というものは、貯蓄(価値を蓄えておく目的)とは決して考えられていなかった。

「新型経済」という言葉は、コンピュータで生成された「確率」を意味する暗号である。この言葉は、良識的な人間による資産管理(プルーデント・マン・ルール)を捨て去ったことを隠すために発明された。そして今、「新型経済」では、収益金の見込みは、もはや言葉の信用に基づくものではなく、確率の問題となった。コンピュータのプログラムが正当化してくれさえすれば、誰に何を言っても良い状態になった。プログラマーたちは、ロケット科学者と呼ばれ、金融データをあたかも軌道上を動く惑星であるかのように、確実性を持った宇宙の法則に従ったものとして取り扱う。コンピュータのモデルは、手数料を稼ぐために設計されており、フィクションに過ぎないのではないかという視点は、素人に分かるような言葉では語られることがない。現在、この確率モデルが失敗して瓦解しているという事実が、市場を凍らせている。

「新型経済」は、キチガイ確率統計学であり、更に、誤ったデータと手の込んだ嘘で細工されたものである場合が多い。旧型経済は、良識ある人間が支える公正な賭けだった。「自分自身を救え。手に入るものを手に入れよ。ルールはない。正直であろうとする人であっても、嘘をつかないと生きていけなくなる」とモントリオール市場の情報筋は言う。グローバル主義の新型経済が終焉を迎えつつある日々に、歪曲と戦争の嘘にまみれたブッシュ大統領のことを若者にとって完全なる見本だと信じた者がいただろうか?と情報筋は問う。情報筋は酒のカップをどこかに失くしたようだ。いつもは彼はもっと陽気だ。(編集長)

★マネーの未来とイスラエル(その3)★

恒久的債務、利子マネー、株式市場の形をとる経済霊とともに、神秘のマネー教は、伝説のソロモンが建築したミルコム神殿の神モロクの聖書の物語として、我々にもたらされた。神秘の言葉イスラエルの誤解あるいは誤用は、この経緯をごまかすために役立っている。イスラエルという知性を覆うヴェールを持ち上げれば、自由な発想ができるようになる。実際、マネーの創造が驚くほど単純であることが理解できるようになる。

教義で凝り固まった思考を開放すれば、マネーの仕組みと生物圏のバランスの関係という重要な問題について考え始めることができる。聖書のバベルだけで環境を維持することはできない。我々は、マネーの創造と管理が、本当は実に単純であることを完全に理解・把握する必要がある。マネーについての疑問に答えられるようにならなければならない。マネーとは何か? マネーの仕組みの起源は何か? 富とは何か? マネーはどのように生じたのか? 人類を導く宇宙の始原パワーは、宗教、マネー、市場という分野での我々の義務についてどのように思うだろうか?

(ところで、読者諸賢は既にご存知だろうが、地球上で自然と調和しながら繁栄するために、宇宙は人類に対して二つのルールを守ることを望んでいる)人間活動を自然と調和した繁栄へと導くべき二つの基本ルールとは、
1.水を汚してはならない。
2.高利貸し(マネー計算の呪詛の炎)で生命を縛ってはならない。

きれいな水に関するルールは説明するまでもない。しかし、高利貸しを禁ずるルールを遵守するためには、マネーの計算について知っておく必要がある。財産としてのマネーと、信仰システムとしてのマネー、交換手段としてのマネーを区別しておく必要がある。

最初に、財産について検討しよう。おそらく最大の財産とは、自然と調和した繁栄の中で健康に充実した生活を送ることである。しかし、マネーという尺度で計測される財産とは何だろうか? マネーの財産とは、とにかく銀行が財産だと言うものがそれであると、断言できる。銀行がそのような決定・判断をする権限は、政府が定めた銀行設立免許に由来している。共産主義国でも、民主主義国でも共和国やナチスでも、政府の種類を問わず、何らかの形式の銀行設立許可を与えている。

第二に、マネーとは何か? ここで二つの並行する次元で考える必要がある。
1.平均的な人にとっては、一般的に言って、マネーは請求書の支払いをするための手段である。現金、小切手、クレジットカードなどは、市場のマネーであり、銀行も問題なく価値を認める。
2.それと同時並行の次元において、マネーは流通している信用である。これは高利貸しをするマネーのプロには最重要な性質である。この信用の流通は、永続的な政府債務、利子付きマネー、割引率、株式市場となって表面化している。

第三に、マネーはどのように誕生するのか? これには一言で回答できる。ローンだ。すべてのマネーはローンとして誕生するという事実は、すべての現代マネーシステムの秘密である。

第四に、マネー・ローンの起源は何か? (答)マネー・ローンの起源は、人々に共有された信条にある。公共の信用は、聖書において「誓約」と呼ばれているものとして初めて認識された。誓約は、現代の金融では「完全なる信頼と信用」となっており、ローンを手段としてマネーを創造するための基盤となっている。誓約については『地球を滅ぼす人類最後の宗教、マネー』に詳述されている。

要約すると、いかなるマネー・システムもほんの二、三の鍵となる考え方に基づいている。
1) 国民は共通の信条を持つ。それは「完全なる信頼と信用」と呼ばれる。
2) 国民は政府を形成し、銀行の設立を許可する。
3) 通貨が権威付けられる。
4) 通貨は銀行に任せるように制度設計される。
5) 銀行はマネーを貸す(ローン)。

例:マネーを持たない共同体が国家を形成する。国家は、「完全なる信頼と信用」の基盤である。政府が形成され、銀行の設立を許可する。規則に従って通貨が印刷される。社会としての国家にはさまざまな要望がある。インフラ整備、医療、教育、防衛など。こうした要望を満たすため、政府は入札をする。契約が交わされる。契約者は、契約書を担保として銀行に持っていき、ローンを借りる。ローンで供給されたマネーで、労働者の賃金や仕入れの支払いがなされる。

この事例で分かるように、公共の信用は、利率や株式市場や国の債務借入に言及する必要なく、成立し動き始めている。国の債務と引き換えに、政府への貸し手として中央銀行が必要であるという神話は、複雑な論理で巧妙に表現されたインチキであることがバレた。

どうして誰かさんに利子を払うのだろう
我々国民が自分自身のマネーを
自分自身が借りるのを
監視してくれる誰かさんに。

ここで我々は特に支障なく仮説を立てることができる。マネーはモノではない。マネーは、国民性を規定する完全な信頼と信用として表現される「精神的な形態」なのだ。この流通していた「公共の信用」が、何らかの形で、モロク神の司祭たちと呼ぶのが最適な集団に人質として捕らえられてしまった。中央銀行の権力は、何とかして、国民たるもの所得税を払うべきだという信仰を政治的ドグマにした。その所得税とは、国民自身のマネーに対して利子を払うためのものであり、実質的には十分の一税、もしくはモロク神への貢ぎ物である。

いかにして国民が自分自身のマネーを借りるために利子を払わないといけないという義務を納得するに至ったのか、という疑問は、神秘の宗教・マネーの神秘である。この謎は『地球を滅ぼす人類最後の宗教、マネー』の中で解かれている。

アーメン

マネーの未来とイスラエル(その3)終わり。

By R.D.Willing
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